2012年08月28日 気仙沼視察初日 

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気仙沼市は人口約7万人、震災で約1千人の方が亡くなり、未だ行方不明者が276名、住宅被災棟1万5千。被災世帯は9千5百世帯に及びます。 
未だに鹿折唐桑駅に津波で乗り上げた漁船『第18共徳丸』が地震津波被害の大きさを残しているそうです。 
公明区議団は、大昨年震災後、豊島区と友好協定締結都市の一ノ関を訪問し義援金をお届けした後、豊島区民の方のご紹介で、気仙沼大島を訪れ、自転車のご要望など支援策を伺いました。 
 
気仙沼港の津波で流された海産物工事は殆ど更地になって、缶詰工事などからの腐敗臭は昨年伺った時に比べると激減しています。 
気仙沼合同庁舎には明らかに2階の窓まで津波が襲い掛かり3階のガラスと大きな違いを見せてます。気仙沼大島行きフェリーから湾の左側には火災で焼けた船が残り、津波で流された油に火がつき、当時焼けた木々が未だに赤く枯れています。 
 
フェリーで25分程で大島に到着し、気仙沼大島支所に伺いい、畠山支所長さんと懇談して頂きました。 
大島が天然の堤防の役割をして、市内の被害は陸前高田などに比べ家を根こそぎ持って行かれゃうな事は少なかったが、この30~40年で埋めたてた所に造成された水産工事は軒並み津波でもっていかれた。 
先人が長い津波との戦いの歴史で得た教訓はやはり大事であった事が痛切に感じられた。 
畠山さんは、昨年10月に大島に赴任されて、震災直後は環境課で復興作業に携わってこられ、水産加工の材料の腐敗臭や害虫対策を様々経験されたそうです。 
特に腐敗臭対策では、全国から数多くの方策の提案がありましたが最大の効果は『黒土』だったそうです。 
埋めたて地の津波被害と腐敗臭に絶大な効果を出した黒土などから、自然と共存していく事がなによりも大切であり、自然の力をまざまざ実感されました。 
また、復興を考えた場合、気仙沼という狭い区域でどうにかすると時間も掛かりすぎ、隣接の一関市や他地域へ視野を広げる事の大切さを語っておられました。 

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